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  | HOME | >活動記録>>発言録2013年11月8日 衆議院文部科学委員会


「高校無償化法一部改正案」参考人質疑
    
参考人となられた方々は以下のとおりです。
吉田 晋 日本私立中学高等学校連合会会長      清水信一 全国専修学校各種学校総連合会理事・全国高等専修学校協会会長
寺脇 研 京都造形大芸術学部教授        三輪定宣 千葉大名誉教授


○青木愛

 きょうは、四名の参考人の皆様の貴重な御意見をいただきまして、まことにありがとうございます。生活の党の青木でございますが、どうぞよろしくお願いをいたします。
 公立高校の授業料の無償化というのは大分世の中で浸透していたというふうに思っておりましたものですから、この法改正は大変残念に思っておりまして、反対の立場でいるわけなんです。
 政府の答弁を聞きますと、公私間の格差の是正ですとか低所得者対策だということなんですが、確かに、今回、私立ですとか専修、各種学校に支援が拡大するのはまことに結構なことなんですが、まず、公立と私立の役割はそもそも違うのではないかと思っているんです。役割分担といいますか、その辺についてまずお伺いをできればと思います。四名の参考人に伺わせていただきます。


○吉田参考人

 先ほど来申し上げておりますけれども、公立学校と私立学校は成り立ちが全く違います。そういう意味では、公立学校の役割というものは、先ほど来の義務教育の延長云々という感覚で話すのであるとすれば、より平均的な教育をする場所であり、私立学校はそれぞれの学校の独自の建学の精神に基づいた特色のある教育をやる場だと思っております。
 ただ、それが近年、いろいろな意味で、中高一貫から何から含めて、公立の私学化という部分が進んできている。そういう中で、今、公立と私立の役割というものが若干おかしくなってきているんじゃないかなという気はいたしております。


○清水参考人

 公私の役割でございますが、今吉田先生からお話がございましたとおりで、今、公立の私学化が顕著に東京では行われております。
 具体的なお話をすると、過去、都立高校には不登校の生徒は入学できませんでした。オール一の内申では入れませんでした。しかし、今、都立高校の中で、不登校の生徒、オール一でも入学できる学校が各地域にできてきております。ですから、十五歳人口が多い時代に、その子たちが我々高等専修学校にやり直しの場を求めて入ってきていました。その教育の形態を公立学校も少しずつ導入して現在に至っております。
 もともと私学は建学の精神に立ち独自の教育を展開してきているわけですが、今お話ししたように、公私間の役割はちょっとぶれてきているのかなと思うところがございます。

○寺脇参考人

 役割は、むしろ教育内容よりも存在としての役割だと思います。
 小中学校の場合は、日本じゅう津々浦々学校は全部整備をされていて、その上で私学を選ぶ。でも、高校の場合は、残念ながら、特にベビーブームの時代などに、あるいは高校進学希望者がふえた時期に、公立では対応できなかったという事態があって、公立が全部整備されているのに私立があるという小中学校とは意味合いが違うということがまず大前提としてあると思います。
 教育内容については、高等学校というのは、特色ある教育をしていくというのは、公立でもそれはある程度の使命がある事柄でございます。小中学校の場合は、北海道の小学校と鹿児島の小学校でそんなに違うことをやるということではないけれども、高等学校の場合には公立においても特色を出していくわけなので、私学の出していく特色と公立の出していく特色とそれぞれがあると思うのですが、確かに、中高一貫校みたいな、これは教育の内容というよりは仕組みの方ですよね、その仕組みまで公立に求めることがどうなのかという問題は残ると思います。


○三輪参考人

 公私の基本的な役割の相違についての御質問でございますが、公立高校、都道府県や市町村立の高校は、それぞれの自治体の要請やニーズに基づいて、自治体の、地域の発展のためにどのような人を育てるかという、そういう役割が基本的にあるかと思いますので、それぞれの地域によって公立学校のカリキュラムとかあるいは目標とかが当然異なるのだと思います。しかし、日本の公立高校は、さらに、もっと大きな役割としては、高校が存立する地域そのものへの役割が求められていると思いますね。
 つまり、欧米ですと、ほとんどの国では、高校も小学区制です。その地域の範囲の中で青年を育てて、そして、その中で青年が地域のために何ができるかということを学ぶ、そういうシステムになっておりますが、日本の特徴としては、地域に根差す公立高校づくりが非常に困難になって、自治体レベルで広域的になったりしていますね。その点は、公立高校の役割として、もっと、自治体よりは、さらに地域に根差す高校づくりという方向が求められているのではないかというように思います。
 私立高校は、やはり、戦前からの学校もございますが、建学の精神があり、そして長い伝統や校風があり、公立高校とはまた別の枠、ある意味ではそういう学区を超え、都道府県を超えて、そして独自の特色ある教育を行う。公立学校一辺倒ではない、そういう選択肢があるということが、公教育全体を豊かにすると思います。
 そういう、ある意味ではより自由な役割を果たしているのが私学だと思いますし、そういうところを自分は選択したいという生徒がいれば、当然、学費にかかわらず進学できるような、そういう基盤づくりを行政はする必要があるというふうに思います。



○青木愛

 ありがとうございます。大変参考になりました。
 やはり公立の高校は、どのような環境にあってもあらゆる子供たちが教育を受ける機会を保障するというのが公立の高校の役割なのかなというふうに思っておりまして、そういう意味では、今回の公立高校の授業料の無償化ということが大変後ろ向きになっているのが残念であります。
 それぞれお立場はあるかと思うんですが、今回の改正によって影響を受けるのは公立の高校でありますものですから、公立高校の授業料が有償になって、申請制度になるわけですけれども、そのシステムが変わることによる、子供や親や教師にとってのメリットは何だと思われますか。四名それぞれ違うと思いますけれども。公立高校ということで。


○吉田参考人

 影響があるのは公立だけじゃなくて、私立も九百十万円以上は同じでございます。ですから、そういう意味では高所得者に影響が来るのかもしれません。そういう中で、下の方に手厚くなるということによって、私立にとってはある意味学校選択がしやすくなる。公立の方は、それ以下の方は従来どおりでございますので、そういう意味では、私は、どうなるかということに関してはわかりません。済みません。


○清水参考人

 私も全く同じ考えでございます。
 私立の立場から言わせていただくと、今の吉田先生と同じでございますが、ただ、学校選択というところでお話しさせていただくと、先ほど来からお話しさせていただいているとおりに、やはりまだ公立学校に行った方が総費用がかからない、授業料等かからないというところは、後期中等教育機関の学校選びの選択肢ではまだ公私の格差は残るのかなというふうに思っております。


○寺脇参考人

 問題は子供の問題だけだと思います。もちろん、親は懐の問題はあるとは思いますが。
 というのは、もともとは有償だったわけですね。だから、今までずっと無償だったのが九百十万円以上の人が有償になるわけじゃなくて、もともとは有償だったものが無償になっていたということです。問題は、つまり生徒の側が、公立高校の生徒たちにとって、さっきも申し上げましたけれども、所得制限によって、日本の公立学校制度の中に初めて所得による違いというものが生じてくるわけですから、このことがどのような影響をもたらすかというのは、始まってみないとわからないところも多いですけれども、少なくともよい影響を与えることはない、悪い何かが起こる可能性は高いと考えなければならないと思います。
 私学も、御経営の立場からすれば、低所得層の補助金が出ることはいいことだとは思いますが、私学においても、子供の間ではやはり九百十万円というラインができてくるということなんでしょうが、公立と違って私学の場合は今までもいろいろなことが、所得による違いが出ている部分がかなりありましたから、公立ほどではないのだろうと思います。


○三輪参考人

 やはり、無償制が公立学校の場合には有償制になったということによる影響は、また非常に大きいと私は思います。
 特に、先ほども申しましたけれども、せっかく公費によって社会全体で学べる条件づくりができたということがまたほごにされて、親のお金で自分は学ぶという、学ぶ基盤自体が非常に私的なものになってしまった。そのことが、学ぶ意欲やあるいは展望、方向というものに大きな規制になって、本来の人格の形成を妨げる、そういう条件になるのでないかというように思います。
 受益者負担で、受益が自分にあるからそれでお金を払うんだという思想がずっとこれまで底流にあって高校の有償制も維持されてきたと思いますけれども、そういう考え方がまた強くなって、もっと教育を私的なものに考えてしまう、そういった条件へと教育の基盤の問題として変質していくということが、今後また高校生の人格形成に大変大きな影響を及ぼすのではないかというふうに思います。



○青木愛

 参考人の皆様の御懸念、本当にそのとおりだというふうに思うんです。
 無償を有償に変えて、申請をして、申請をした人は無償、何かの理由で申請できなかった人に対しては、年額十一万八千八百円、これを支払いなさいよということなんですよね。
 これは低所得者対策だというふうに言っているんです。九百十万以下の人は変わらないと言っているんですけれども、私は、これは実は変わるんじゃないかなというふうに思っていまして、そこを大変懸念しています。政府が、九百十万以下の家庭に対しても本当に無償でいいんだと思っているのであれば、わざわざ有償にして申請制度にして、皆さんのすごく手間をいただくようなことにわざわざ切りかえなくても、所得制限については何か考えがあるのかもしれませんけれども、そこは私たちも反対ではありますが、所得制限については考えるとしても、九百十万円以下のここの部分は無償のままでいいんじゃないかと思うんです。政府もそういう方針だと思うんですよ、九百十万以下は無償にすると。
 なので、何でそこをわざわざ有償にして、申請をして、日本全国の親御さんも、そして教師の皆さんも大変な事務作業に当たらなきゃいけないのかなと率直に思うんですけれども、何かいい方法はありませんでしょうか。


○吉田参考人

 私どもがそういうことを考えて何でも実行できるんだったら、教育も何も、そうさせていただきたいと思います。


○清水参考人

 私どもは、親御さんの負担減を望んでいるわけで、それ以上のことは申し上げられませんが、考えておりません。


○寺脇参考人

 おっしゃるとおりでしょう。
 私学は、過去も有償、今も有償、今後も有償なんですよね。公立は、有償だったものが無償になって、また有償になる。それは何のためか。いや、その二割の人たちから授業料を取るためにしたんだということですよね。
 これは実は、今、高校生たちだっていろいろな情報を持って考えますから、大人はまことに変なことをするものだ、この社会というのはまことに変なことをするものだ、九百十万円以上の人の税金を高くすればいいじゃないかと考えると思いますよね。
 だから、そのことが、政策としてそれはあり得る話だと思いますよ、格差をつけるというのはあり得る話だと思いますが、方法としてこういう方法をとるというのは、非常に、公立学校としてのあり方にもかかわってくる問題になりはしないかと危惧をいたします。


○三輪参考人

 所得制限の導入の是非はとにかくとおっしゃいました。確かにそこは一番今回問題ですが、それを除いても、今まで公立高校は授業料が無償制でした。不徴収でした。それが有償になって、その分を支援金で賄うということになりますと、この理念が根本から崩れるわけですね。無償教育の導入というのが国際的な趨勢ですが、日本は逆流しているというイメージ発信を、メッセージを送ることになると思います。
 また、高校生たちも、無償であるということではなくて、有償なんだ、親が払って、若干国がそれを援助してくれるという関係に戻ったんだ、そういう捉え方になると思いますね。
 ですから、所得制限を導入した、そういう問題以上に、やはり、公立高校から始まった授業料の無償制、不徴収という流れがここで大きく変わってしまったということが、これが大変問題だというふうに私は思います。



○青木愛

 大変ありがとうございました。
 まず、やはり子供のことを考えなければならないわけですけれども、子供にとってのメリットはそうそう見つからないということで、むしろ精神的な悪影響の方があるのではないかという懸念の声もいただきました。
 まだまだこの制度を変えるということに対しては議論の余地が十分にあろうかというふうに思いますので、また質疑時間があろうかと思いますので、きょうの参考人の皆様方の御意見をもとにまた質疑の方に当たらせていただきたいと思います。
 大変貴重な御意見、ありがとうございました。